「落ち込み」から早めに抜ける−マインドフルネス

 窓の外で木の葉が揺れている。カサカサと葉が窓に擦れる音が聴こえる。微風が吹いている。まだ外は薄暗いようだ。カーテンから漏れる光は弱い。私は、朝早く目が覚めたが、布団の中で微睡んでいる。次第に風が出てきた。葉の擦れる音がガサガサと強くなってきた。風雲急に何かが動き出した気配がする。意識がはっきりしない、ぼ〜とした気持ちで外の動きを感じている。ふと雲行きが怪しくなってきたかなと思う。そのうち、雨音がしてくる。ポツリポツリと雨が木々の葉を揺らし始めた。次第に雨足が強くなっていく。屋根に、そして窓に、ザーと雨が打ちつけてくる。

 少し意識がはっきりしてきた。「今日は何をする予定だったのか?」と考える。「何かしなければいけないことがあった。・・・あ!そうだ。東京認知行動療法センターのサイトに掲載するエッセーの執筆を頼まれていたんだ!」と気づく。この数日、机の前に座って、パソコン画面を前に考えていたが、良いアイデアが浮かばずに頭を抱えていた。「そうだ!このぼんやりした意識のことを書こう!」と思いついた。安心して再び睡魔がやってきた。・・・目が覚めた。外では、鳥が囀っている。鳥の鳴き声が色々な方向から聴こえる。「雨が止んで晴れているのかな」と思って、ベッドから起き上がる。カーテンを開けると朝の光が眩しい。窓を開けると、5月の薫風が肌に爽やかに感じられた。

 不思議なものだ。「認知行動療法エッセーを書き上げる」という目標を掲げて考えていた時は、意識すればするほどアイデアが浮かばなくなった。頭の中には「エッセー執筆」が標語として掲げられている。しかし、実際に頭の中で考えているのは、エッセーが書けない自分の情けなさだった。「エッセーも書けないのか!なんて自分はバカなんだ!」と自分を揶揄する考えが頭の中でグルグルと回る。「書けない自分」が意識の中心に座る。自分の周りで起きていることに気づけなくなる。「できない自分」という、暗い部屋に閉じ込められ、そればかりを反芻して疲れてしまう。落ち込んで気持ちがどんどんマイナスになる。落ち込むと、どんどん「自分はダメだ」という価値判断に囚われてしまう。

 意識というのは厄介なものだ。何かをしようとして注意を集中して頑張れば頑張るほど視野が狭くなる。それで失敗すると、失敗だけに注意が向いて、そこから抜け出せなくなる。どこが痛いと思うと、そこに意識が集中して益々痛くなり、それに不安が追い打ちをかける。このような「ダメだ」という考えや感情に囚われて鬱状態にならないためには、「すること(doing)」モードと「あること(being)」モードの切り替えをすることが大切だ。

 目標に意識を集中して頑張る「することモード」では、目的意識に囚われて気分転換ができなくなる。そのような時には「あることモード」で意識を緩めてボーとする。注意散漫となるが、判断以前の“あるがまま”の状態に心が開ける。そうなると、自分の周囲の出来事が如何に豊かに動いているのかを感じ取ることができる。外に開けている自分、その自分が自然と気(エネルギー)の交流ができる“ありがたさ”(発見と感謝)を実感できる。

“囚われ”から抜けるために役立つのがマインドフルネスだ。「(“自分はダメだ”といった)価値判断をせずに,今この瞬間に意図的に注意を向けることで得られる気づき」をマインドフルネスと呼ぶ。そこでは、「“今ここ”の現実に気づきを向け,その現実をあるがままに感じ,それに対する思考や感情に支配されない姿勢」が大切となる。日本人は、このマインドフルネスは体験的に知っている。露天風呂で感じる「いい湯だな!」の感覚である。お湯に浸かりながら無心に自然を感じとる感覚。あれです。
(H.S.)