今夏、継続的に取り組んだのが、散歩であった。きっかけは、職場である大学が夏休みに入る前に、各教員が学生向けにメッセージ動画を作成しようということになったことだ。時節柄、「コロナ禍での夏休みの過ごし方」というのが暗黙の「お題」となっていた。

何を話そうかしばらく考えていたが、コロナ禍という制約の多い状況ならではの活動として「何かを継続すること」を勧めようと思い立った。通常の状況であれば達成の難しい「何かを継続すること」も、制約の多い状況ならば、ある種のあきらめが作用して、達成が容易になるのではないかと考えた結果である。

しかし、単に「何かを継続すること」を勧めるだけでは説得力に欠ける。それならばと、自分自身が「何かを継続すること」に取り組むことを宣言し、その上で「皆さんも是非、何かに取り組んでみてください」と投げかけることにしたのである。

では具体的に何を継続するか、であるが、これについてはわりと簡単に「散歩」に行き着くことができた。やはり、夏休み前までの、連日のオンライン授業の準備と実施のなかで、運動不足を強烈に感じていたのが大きかった。さらに言えば、運動のなかでも激しいものは、身体(脳?)が嫌がってしまい、「継続できない」ことが予測できた。その結果、消去法的に残ったのが散歩だった。

このような経緯で日々の散歩が始まったのだが、始めてみると、まず予想していなかった壁として、今夏の「猛暑」が立ちはだかった。早朝や夕刻ならば気温も下がるだろうとたかをくくっていたのだが、甘かった。たまらず、ランナー向きのシャツと短パンを購入するとともに、散歩中は水分の入ったペットボトルを携帯することにした。

そして何とか散歩を継続しているうちに、予想していなかった効用も感じるようになった。散歩をすると、その後、何となく気分がスッキリするのだ。もちろん、運動によって足腰が鍛えられるというメリットもあるのだが、このスッキリ感は予想以上のものがあった。

さらに慣れてくると、散歩しながら、マインドフルネスを意識することもできるようになった。特に散歩コースの一部となっている公園のなかを散歩するときは、五感をフル回転して、足の感覚を始め、木々の緑、風の音、土の匂いなどに注意を向けていると、自分自身が自然と一体化し、新しい世界に足を踏み入れたようにも感じられた。

「こうして散歩の虜となった私は今も散歩を日課としている」と結べれば、この上ないエンディングなのだが、大学の夏休みが明け、オンライン授業が再開された現在、散歩は滞りがちとなっている。しかし、週末に散歩をする時間を見つけようとしていて、実際に時々散歩をしている自分がいるのもまた確かである。これも、今夏の「継続」の成果だと思っている。(S.M)